去る5月10日、東宮御所内で行われた皇太子殿下の記者会見において、記者の第二の質問にお答えあそばされた御言葉の中に、
「・・・雅子にはこの10年,自分を一生懸命,皇室の環境に適応させようと思いつつ努力してきましたが,私が見るところ,そのことで疲れ切ってしまっているように見えます。それまでの雅子のキャリアや,そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です。」 という部分があった。 この会見後の2、3日の世間のようすを見れば、国民がこぞって皇太子殿下の御胸中をお察し申し上げ、雅子妃殿下の御苦悩に思いを馳せたことは明らかだろう。 一方、世間からすっかり悪者にされた宮内庁側からは、13日、皇太子殿下御夫妻の身のまわりをお世話申し上げる側近たちのトップである林田東宮大夫が、急遽、記者会見を開いて、苦しい弁明をし、その後は湯浅宮内庁長官も会見を開いて申し開きをしていた。 皇室に嫁がれた雅子妃殿下が、ある程度、その因習やしきたりにご自分を適用なさろうとすることは必要なことではあろう。しかし、すべて過去の慣例にならう必要などどこにもないという、まずは当然自明の前提がある。これが了解されなければ、大正天皇は明治天皇のコピーであり、昭和天皇は明治・大正天皇のコピーであり、今上陛下は明治・大正・昭和天皇のコピーであり、同様に、貞明皇后は昭憲皇太后のコピーであり、香淳皇后は昭憲皇太后・貞明皇后のコピーであり、美智子皇后は昭憲皇太后・貞明皇后・香淳皇后のコピーである、という実にばかばかしいことになってしまう。しかし、このようなばかばかしい話が実際にはなく、皇室は時代とともに変転しつつ、連綿と存在している歴史的事実を疑う日本人などいない。 昭和天皇は、皇太子時代、史上初の洋行をなさり、また眼鏡を使用なさるということに挑まれた。今上陛下もまた、美智子皇后を初めて民間からお迎えあそばされている。 つまり、皇室の外側に規定されたマニュアルやきまりごとという「器」があって、そこに現在進行の当代の皇室があわせる必要などどこにもないということを国民は知っている。それぞれ歴代の天皇家が慣例や因習と戦いながら、時にそれを打ち破ってきた歴史こそが皇室の「伝統」というものであって、「復古」や「回帰」ではなく、そうした変転する「伝統」こそ保守のよりどころとするものだとすれば、それを国民は潜在的にきちんと認識しているのである。 日本という国の最も根本なるものを皇室の存在に求めたとき、宮内庁は、いかなるものになるのかといえば、これは、国の中核を支援する「公」の一つのようにも見えるが、皇室がそもそも「公」以外の何物でもない以上、そうなれば、どちらがどちらの下部構造として取りこまれていくのかという問題以外にはありえまい。 ここで、日本人ならだれしもが、その場合は、皇室が上位にあって、お世話する宮内庁が(臣)下であるのは当然だと認識する。実際、天皇陛下と宮内庁長官とで、どちらがエラいかと問われて、長官だと答えるひとはいない。 ならば、皇太子殿下のおことばが決定的な「公」のおことばであって、あとで林田や宮内庁長官の湯浅利夫がなにを言ってももはやどうしようもないことは明らかである。皇太子殿下のおことばは、夫が妻を案じている私的・個人的な感情を吐露したものではなく、臣下に対して、「お前たちは、皇太子妃のこころも解さず、また伝統と因習の区別もつかぬでくのぼうの臣下だ」と、天皇陛下に次ぐ日本最高の「公」としての怒りを表出させたものだと受け止めるのが、筋だろう。 宮内庁は、巷間、閉鎖的な官庁だとしばしば言われる。幹部職員は、警察庁などからの転進組が多いとも言われる。また、慣例や因習・しきたりに非常にやかましい輩が多いとも聞く。採用するにあたって、思想的な調査はするが、取り立てて恋闕の情に篤い人々が採用されるという話はない。したがって、数年おきに交替を余儀なくされる高級幹部はもちろんのこと、彼らの指揮下にある下部職員に至るまで、通り一遍の皇室への忠誠以外には、(そういう場所柄であることも災いして)役人として先例にしたがって無難に無難に切り抜けようとする精神的姿勢が他官庁以上に強いのではないかという推測が成り立つ。世間から見れば「お前たち宮内庁職員がエラいんじゃない、あくまで皇室がエラいのだ」に尽きるにもかかわらず、やれ「昭和様(先帝陛下)の時代にはなかった」だの、やれ「皇后陛下の妃殿下時分にはなかった事例だ」だの、そうした判断で、雅子妃殿下の外遊御希望が、御懐妊問題をダシにして数多く見送られてきただろうことは想像に難くない。一体、宮内庁の誰に、政府の誰に、皇太子妃殿下の外交への御志を犠牲にする資格があったというのか。思い上がりも甚だしいと言わざるを得まい。 そして、ついに皇太子殿下の怒りを買った。 つまり、宮内庁は、角をためて牛を殺したのである。 そもそも、宮内庁の存在意義は、皇室が気持ちよく国事行為や公的行事に参加できるよう、身のまわりのお世話を平素から行うこと以外にはありえない。日継皇子の御誕生を慮るあまり、皇太子妃殿下の外遊御希望を制限したり、宮内庁関係者が時としてあらたなご懐妊への無用な発言をくりかえしたりというのは、そもそも「分際」を心得ぬ不忠の振る舞いだと言わなければならない。つまり、今回のような皇太子殿下のおことばが出れば、それはすなわち宮内庁の存立自体に関わってくる問題となる。 あくまで宮内庁という日本政府の役人でしかない自分たちがあたかも「公」でもあるかのように錯覚し、皇太子殿下御夫妻のお気持ちをなめてかかり、それを私的・個人的なものとして軽視してきたからだと断じざるをえない。 また、宮内庁長官である湯浅利夫は、昨年6月の定例記者会見の場で、「私の希望であって(ご夫妻への)プレッシャーになってはいけない」と付記しながらも、第二子皇孫にふれて「やはりもう一人ほしい」「多くの国民もそう考えているのではないか」などと発言して、内外の顰蹙を買ったことがある。また、12月には今度は「秋篠宮殿下御夫妻に第三子を期待したい」などと、国民一般の常識からしても考えられないような無神経さを露呈した。こうした発言を考える限り、宮内庁長官は、臣下としての側ではなく、すっかり一般国民の側に立ってしまっていると言われてもしかたあるまい。直接の臣下であるならば、その分際をしっかりとわきまえ、世間のプレッシャーから妃殿下をお守り申し上げることが筋であり、それを自分から進んでプレッシャーになるようなこと・無神経きわまりないことを言ってどうするのか。「また生まれてほしい」という真の願いはぐっと押しこめ、生むも生まないも、生まれるも生まれないも、すべては臣下の自分のとやかく言うことではない、臣下の自分がすべきは妃殿下にすこしでも快適な御環境をご用意申し上げることに尽きると悟ることが、臣下の分際というものであることは言を待つまい(湯浅はまた、ビデオ画面に映し出された外国滞在中の雅子妃殿下のごようすを眺めながら、「外国に行くのがそんなにうれしいのかねえ」などと発言したシーンを、民放で流されてもいる。あきれはてた脇の甘さ、不忠・不敬の徒だと言うほかはあるまい)。 皇太子殿下のおことばには、そのお立場をかんえれば「私」はありえない。すべてのそのおことばは、天皇に次ぐ「公」のものである。したがって、同様に、「雅子妃殿下のワガママ」などという日本語は存在しえない。それが存在するのは、(読者の置かれた社会的環境から感情移入しやすくするために、あえて)皇室を個人的なアイドルとしてしか扱わない女性週刊誌のみである。 皇太子殿下は、慣例をお破りあそばされて、その心情を吐露なさったと言われる。しかし、慣例を破ったと見るのは、そもそも世間にもまた役人根性が蔓延しているからにほかならない。戦後民主主義に毒された人々が多数宮内庁に入り、ことあれば皇室を国家の管理下に置かれた「私」の一つとしてしか認識しえない輩がふえるのであれば、皇太子殿下もまた、それに応じて、かつての皇室とはことなったメタモルファーゼ(変身)を遂げられるほかはなかった。すなわち、メディアを生かすこと、そして言葉を発すること、というきわめて戦後民主主義的な方法である。 これは、慣例を破ったのではない。あらたな伝統を時代に合わせて皇太子殿下御自身でお作りあそばされたことを意味する。妃殿下のために。 皇太子殿下のこのおことばは、断じて私的な・個人的な感情ではない。皇太子殿下にあられては、そもそも慣例や因習・しきたりをお守りになることが仕事ではない。皇室の安寧----それこそが、皇太子殿下の優先すべき最大にして最高のお仕事であり、それは即日本を支える国家の大事であることは言を待たないだろう。 すなわち、妃殿下をお迎えになったあとの宮内庁の対応はよくなかったと、皇太子殿下はおおせになったと解するのほかはない。 よって、宮内庁長官湯浅利夫は、皇太子殿下御成婚後の歴代宮内庁関係者の全責任を引き受け、茲にその職を辞することを求めるものである。 平成16年5月18日 ![]() |
■抗議糾弾先メール宛先 宮内庁 首相官邸 |
proposal of this movement : Kishu-no-kaze original draft : Donbyakusho suggestion on member's BBS Gen, ShijohNawate, Taka, IchikawaDenzo, Nike, ShiratoriSeishiroh research of the e-mail adress : Kiraku publicity on the net : Tetsusenkai Net Publicity Troops superviser : Motokida kura edition & web making : Tetsusenkai Central Exectives |
![]() |